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2008/12/14

違いを考える

ファン、サポーター、コア(ウルトラ等)・・これらは厳密にはまったく別物だ。
それを違いを考えて見た事はあるだろうか?

長崎に限らず、日本ではこの概念は深く知られる事なく電通のパッケージングによって売り出されてしまった。その為にファン=サポーター=コアの概念が出来上がって、それを前提に語る人が多い。

確かに大枠ではそれは間違いではないのだけれど、実際は細かく分かれている。
ファンとウルトラはまったく別物で、ファンから見ればウルトラは規範外で、時に許しがたくうつるし、ウルトラにとってファンは甘いだけにしか見えない。しかし、これらは全然別の価値観、思考に基づいている。その別の価値観を前提に否定されても勘違いでしかない。

元々、サッカー場の観客は幾つかに分類される。それは日本に限らず世界中だ。
例えば、ウルトラという言葉の発端の元祖、イタリアでは

・Spettatori(スペッタトォーリ):観客
・Tifosi(ティフォージ):ファン
・Sostenitori(ソステニトーリ):サポーター
・Ultras(ウルトラ):特に熱狂的な集団

に分類されている。

スペインではサッカーファンはAficionado(アフィシオナード)、Hincha(インチャ)と呼ばれ、Hincha(インチャ)がAficionado(アフィシオナード)より熱狂的なサポーターをイメージさせる言葉となっている。

アルゼンチンでも応援をする者を「Hincha(インチャ)」と呼ぶ。
言葉の元々の意味は「仲間」らしく、インチャ同士、チーム同士での一体感を強く持つ。他チームを応援する事はありえない。

つまり、アルゼンチンのインチャにとって
「普段は、○○と××を応援してます。」なんて言う人は決して仲間ではないし、インチャとは見なされない。

インチャにとって、チームへの応援は一種の宗教といって良い程に熱烈で唯一無二のものだ。周囲からは「遊び」「余技」と思われる応援やサッカーにそれほどの信奉を持っている。それ程強い「我がチームへの想い」は容易く、敵チームへの敵意となる。

宗教の世界を見れば判る。宗派が違うだけで互いを悪魔と罵り合う程に憎みあう事例は幾らでも転がっている。普段、温厚で自宗派の信徒に対して慈愛に溢れた人格者たる司祭が、別宗徒には憎悪を隠さない。勿論、そういった別宗教を寛容しようという動きはあるが、それが生れてきたのは近年で、その受け入れも「相手の存在を受け入れる」という最低限の寛容で、別宗派の教えは認めていない。
世界最大宗派のカトリックですら進化論を認めたのは最近だし、アメリカには未だに進化論が間違いで神が生命を作ったと義務教育で教えている州も多い。

他者から見れば信じられないような思い入れではあるが、それは強い愛情や思い入れを持てばある程度は当然なのだ。

このように世界中では同じファンでも、特に熱狂的な者とそうでない者に大別される。サッカー以外でもそれは世界共通で、アメリカでは熱狂的なファンを「Mania(マニア)」と呼ぶ。

そして日本にもそれに類する言葉が存在した。
例示を
「~狂」「~キ○ガイ」「~馬鹿」

○で伏字にしなければならないのが全てを表している。
(余談だが、日本は世界的に見ても、先進国としては珍しいほどの言論統制国家だそうだ。差別された人達の苦しみを忘れない為に、物語を書きたくても、差別用語禁止の為に書けない程の言論抑制国家って・・)

これらの言葉は基本的に狂うとか馬鹿とか入るのでマスコミ的に非常に使いづらい。
かろうじて、この中で使って良いのは「~馬鹿」くらいで、それもちょっとでも目立つと結構批判が来る。(釣りバカ日誌はその辺、物凄く気を使ってるそうだ)

こういう使いにくい言葉の場合、英語を使うのが常なのだが、「Mania(マニア)」という言葉は変質的なネガティブな言葉としてオタク的なイメージで使用されてきた為に、使う事が出来なかった。

そこでJリーグ開幕の頃に「サポーター」という言葉を作った。
そして野球のファンと一線を画すようなイメージで売り込んだ。
この試みは成功し、サポーターという言葉は広まり、今の日本サッカー文化に影響を与えた。ちなみにサポーターという言葉は日本でしか通用しない。

海外にはサポーターショップとか存在しないファンショップだ。
サポーターズアイテムとか言わないファングッズだ。

しかし、他の国が自然発生して別れて行くまでの時間を大幅に端折ったこの手法は、日本に10年余りで新しい応援文化の方向性を打ちす事に成功したが、観客の分類を「サポーター」という便利な言葉でウヤムヤにしてしまった。

つまり、他国では大きな「サッカーの観客」、「サッカーの好きな人」というくくりでは同じだけれど、実際は男女の性別に匹敵する程に考え方や行動様式に差がある人間達を全部サポーターにしてしまった。

これが日本サッカーの観客の直面している現在最大の問題点だ。

観客、ファン、ウルトラ・・それらは全て違うものだ。

一度、じっくり考えてみて欲しい。

*追伸
実は海外でいうULTRAも日本ではイビツというか妙な変化をしながら発展をして、海外のULTRAとは違う日本ULTRA文化が作られつつあるのが現在の日本サッカー応援なのだが・・それはまた別の機会に。

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