« 世界の書評から ~流浪編~ | トップページ | 柿泊まりの横河戦の応援の事 »

2009/06/24

応援王の断幕

サポーター、スタッフ、スポンサー、選手、フロント・・これら全てが1つのチーム「V・VAREN長崎」だ。つまり、「自分達」=「V・VAREN長崎」だ。

だから、チームの人間は全員、V・VAREN長崎の事を話す時、「ウチ」っと呼ぶ。
「ウチはサイドが強いから」、「ウチのフロントは・・」っという風に。

ULTRAで代表は、基本的に全部を指し示す「長崎」っという言葉を1番大事にしてきて、横断幕には基本的に選手の個人名では作ってこなかった。例外は小嶺先生をゴッドファーザーになぞらえた横断幕と、一番最初にたまたま思いついて作ったという「岩本長崎(現在封印中)」程度だ。あとはシーツでバースデーの時やネタ系の時に即興で書いたけどね。

「愛シテル岩本長崎(封印中)」の横断幕は礼人さんが、「裕哉(譲渡済)」の横断幕はWAKIさんが、「炎えろ 久留貴昭」のダンマクは美桜ファミリーが、それぞれ個人で作った。加藤鷹はV・VAREN長崎所属ではないのでネタとして処理してくれ^^

まぁ、そういった中で、前々から俺も個人で横断幕を作ろうと思っていたんだけど、V・VAREN長崎の選手やスタッフの横断幕はあっても、事務局員の横断幕がない事気付いた。その辺もあって、地域決勝高知ラウンドでは「俺達の誇り”給田”」を書いたけど・・。

実際、選手や監督といった注目を集めやすい人ではなく、それ以外のチームの一員を扱いたいと。そこで第一候補だったのが「事務局:溝口透馬」だ!!!しかし、そこでもう一歩先を考えた。

「あっ!!!俺がいる!」

サポーターもチームの一員なら・・チームを俺達の誇りと思うように・・

”俺”も”俺の誇り”じゃないか?

当時、はち蔵で岩本長崎をボトル半分ほど開けていた俺の思考は冴え渡る。
「俺=V・VAREN長崎=長崎」・・つまり、俺を誇る事は長崎を誇る事。
もう意味は判らない。ただ、脳髄には「やらねばならない」とだけ刻み込まれる。

そして、毎晩夜なべして作り続けた。

横断幕の文字は「Nuestro orgullo yo!」

英訳すると「Our Pride Me!」

日本語で「俺達の誇り”俺”!」

スペイン語だ。何故スペイン語か?スペイン語は英語、中国語に次ぐ世界第3の言語だ。
単に話す人間の数なら英語や中国語に劣るが、特にサッカーの盛んな所で多く使われる。PRするには好都合だ。

それに、今までも日本語で「長崎」と書いたり、英語で「God Father」と書いたり、ユルネバ歌ったりしてるのに何を今更だ。何よりチーム名自体が造語のチームのサポーターが何にこだわる事がある。

それが和華蘭文化だ。長崎だ。そういう事だ。

そうして出来たのがコレ。

Ore

多分に先を考えすぎて行き過ぎてしまった感・・1周してしまった感がないでもないが・・

この横断幕は自分の為に作った。自分を盛り上げる為の物だ。
ワンピースのルフィにとって麦わらドクロの旗のように、キャプテンハーロックの骸骨旗のように、俺の旗だ。これを掲げてる限り、下手は打たない。今期常にスタジアムのどこかでにこれはある。

っという訳で、

応援王に俺はなる!

もう訳がわからんけどね。

|

« 世界の書評から ~流浪編~ | トップページ | 柿泊まりの横河戦の応援の事 »

コメント

まずはコンセンサスを基にマネジメントしていく事をクラブが明確にわかりやすく提示していく事。そして街全体のステークホルダーがそれぞれできる範囲で無理をせず楽しんで参加していく。その過程で特に大切にしたいのが今の時代だからこそコミュニケーションをデザインすることになると思います。複雑系の構造を紐解くのは『喜びを他の誰かと分かち合う』ハッピーなキーワードとデザインです。『それだけがこの世の中を熱くする』から。
クラブと街の素敵な関係はまだ始まったばかり。
郷土愛とはちょっと違うシビックプライドは半歩先の共通言語となりますよね。


投稿: しゅ | 2009/06/26 18時45分

方向性を言語化するのは骨がおれるんだよなぁ。
微妙な違いで意味が変わってくるし。

そうなると、結局はマネジメントに行きつくんだなぁっと。

通常「人・物・金」で構成される経営リソースがスポーツビジネスの場合「人」に集中し過ぎてる訳で、結局は言われる通り、コミュニケーションとその為の受付窓口勝負か・・と。う~む・・。

投稿: ひろ@管理人 | 2009/06/26 12時25分

いや、言い切るのではなく言葉にしてあげるという事が大事よ。

でも本当にもっともっと大切なのは言葉よりも、もっとわかりあえる記号や雰囲気を作り出して初めて成功したと言えると思います。もちろん街全体で。
結局コミュニケーションをデザインする事に全ては集約されてくるね。

投稿: しゅ | 2009/06/26 03時21分

郷土愛とはちょっと違うっと言うのが感覚的に判るかどうかってのが結構大事だなっと。

もっと調子コイても良いし、
もっと腰低くても良いし、
もっとストイックでも良いし、
もっと楽しいでも良いし・・

何でも良いんだよっと。
どうなりたいんだ?
どうしたいんだ?
ってのが一番ではないかと。

最近、言い切った奴、断言した奴が勝ちなんだと思うとですよ。

投稿: ひろ@管理人 | 2009/06/25 23時36分

そう!

もっともっと高めて行くしかないんだよね。
『私こそが都市である。』

ポリシーとコミュニケーションをリンクさせなきゃね。郷土愛とはちょっと違う、半歩先の共通言語。これって公共と自己の概念が薄いと難しいよね。

だけど週末は精一杯楽しむ、楽しくて気持ちよいって大事なんだよね。

投稿: しゅ | 2009/06/24 23時46分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173792/44312918

この記事へのトラックバック一覧です: 応援王の断幕:

« 世界の書評から ~流浪編~ | トップページ | 柿泊まりの横河戦の応援の事 »