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2010/01/29

日本ではスポーツで金は稼ぎにくい?その②

英国のエリート層でアマスポーツの概念が発生し、それが民間に広まる中でギャンブルと結びつき、プロという概念が生まれた事、その発生理由からプロがビジネスとは切り離せない事は前回書いた通り。その続き。

さて、海外ではアマ・プロのスポーツという概念が発生したが、日本ではスポーツという概念は無かった。行われるのは”競技”であり”芸能”であったからだ。

競技は呼んで字の如く「技を競う」事が目的である。魅せて金銭を得るのは芸事(げいごと)と呼ばれる舞や演奏である。

例えば相撲は元々は武術が神事化したものだ。後に相撲には芝居小屋的要素を取り入れ興行を打っていくが、実際は奉納的性格が強くプロスポーツまでは至らなかった。柔術や弓術や剣道も護身術であり、披露する事を目的としない。

東アジアは宗教的に雑多であった事や、比較的欧州より文化対立が少なく、精神文化が重視されてきた為に特に、自分をPRする、魅せる事へのタブーが多い。剣の達人は戦うより戦わない事を最上とし、身につけた技を見せる事を軽々しく行わない。特に島国の日本はこの傾向が非常に強く残った。

この為に日本ではプロスポーツっといった概念が表に出てきにくかった。

江戸後期にスポーツの概念は日本にもたらされたらしいが浸透していない。更に明治に入り、「富国強兵、殖産興業」の国策が取り入れられるとスポーツの遊戯的面が受け入れられず、心身強化の為の国民体育としてスポーツが認識されるようになってしまった。

つまり、日本ではスポーツが教育・鍛錬の部分のみを目的に取り入れられ遊戯的面を排除してしまったのである。

ここでスポーツに対して決定的な間違った入り方をした事が日本スポーツの不幸だ。

元来、SPORTという言葉自体がラテン語のportareの否定形で「働かない」という語感から、古フランス語のdesport「遊ぶ、楽しむ」を経てSPORTになった。
だから、海外ではスポーツをPLAYする。


だが、日本ではそれを真っ向から否定してしまった。
後に「楽しむ」の概念が広まり、五輪で多くの選手が「五輪を楽しむ」と発言して惨敗した時に叩かれまくったが、発言した選手も、叩いた方も「楽しむ」の意味が互いに根本から違っていたようだった。それもこの歴史が背景にあるんだろう。

さて、こうして教育・鍛錬として広まった日本のスポーツが精神論や勝敗に過敏になるのは当然だった。鍛錬した以上は成長せねばならん。教育である以上は向上せねばならん。教育であり鍛錬なのだから金が動くのはもっての他。

こうして大英帝国で生まれたアマチュアイズムに近い日本的スポーツの概念が作られていく。

教育や鍛錬が主なのだからスポーツ界の偉い人に教育関連出身が多いという名残が今も残っている。

この概念も時間が経つにつれて微妙な変化をみせていく。
それはスポーツ自体が持つ楽しさやワクワク感などの力なのだが、社会として日本ではスポーツがビジネスへ大手を振って存在する事は厳しい時代で、それへの隠れ蓑として次第に企業スポーツという東アジアの特殊なシステムの芽となっていくのだ。

続く。

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