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2011/01/05

長崎の非常、V・ファーレンの無常①

さて、2010の総括だ。
2008の「ありがとう東川昌典、さらば東川サッカー」
2009の「俺達が昇格出来なかった理由」
に続く第3弾だ。
今回もクソ長い文章だ。読む人は覚悟して読んでね。
まずは今回も2009の終り位からの話を始めよう。

09年シーズン後・・はヒドイ有様だった。
フロント、スタッフ、選手がそれぞれ不信を持っていて、サポーターも大概それに巻き込まれた。クラブは原則選手全員残留方針を打ち出していたが、この時点では選手が20名近く退団なんてのもあり得える有様で大変な状況となっていた。これに加えて、この時点ではかきどまり改修問題もかなり行き詰る。年末は随分と暗い気持ちでいたのを覚えている。

これらの問題はクラブに関わる人や手法の問題点や不満点が5年目を終え遂に限界点を迎えた事が大きく、いつかはこうなる事だったんだろうと思う。それ位にV・ファーレンは組織としてクラブチームとしてJを目指すには未成熟なままだった。ただし、少しだけ擁護するなら、長崎という日本の僻地から親会社を持たないチームがスポーツクラブ運営を成し遂げる難度が恐ろしく高いという事も忘れてはならない。

そんな状況に好転の兆しが見え始めたのが新年を迎える頃だ。

帰郷していた選手達が地元に戻り落ち着いて考えた事、11位という成績に責任を感じる者も多かった事・・かきどまり問題に光が差してきた事、更にクラブが新体制ではS級監督やコーチを招聘する事、更にクラブからも新しいコーチを1人つける事、専属のトレーナーを雇用するという改善点も影響していた。
こうして、結果的に予想より多くの選手が残留となった。

かきどまり問題に関しては、これまで何度か書いていたがJ側から「●●と△△だけ間に合わせれば・・」、「●●と△△についても実際に××していなくても、□□□□で・・」という言質をとっており、「絶望的な状況」は「あと1歩」に進歩していた。●とか△については勝手に推測してくれ、俺は答えない^^
これには県サッカー協会の素晴らしすぎる尽力があった事は記しておく。

監督人事はシーズン後から強化部もしっかり動いて2名の候補がいて結果的に佐野さんが起用される事となった。佐野さんが合流した時はまだ契約を保留している選手もいたが、チーム作りを急ぎたい監督の意向が強く、それに影響されるように次々と選手の契約は進んでいった。

その後、トライアウトなどを経て新しい顔ぶれの選手が揃う。
監督:佐野達 Hコーチ:堺陽二 コーチ:枝折祐紀 トレーナー:小林正平
主務の矢竹君以外は全員が新顔となった。

この人事が過去5年と違い初めてまともに組閣した陣容となる。
創設から6年目の長崎は変化が必要な時期となっていた。特に創設以来現場に関わってきた現常務岩本さんの存在感が良くも悪くも強く残るチームに新しい空気を送り込んでステップアップするタイミングだった。

ただ、このステップアップにはある落とし穴があった。
クラブのチームコンセプトの無さである。どういうチームを作るか?その為にどう強化するか?その為にどんな方針の監督を呼ぶか・・これがV・VAREN長崎には存在しない。あるのは漠然とした「育成クラブを目指す」という中身がゼロの言葉のみ。このクラブコンセプトの無さが結果的に、1年後、佐野さんのコンセプト頼みとなりチームに大きな衝撃をもたらす事となるのだが・・それは後の話。

つづく

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