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2011年9月

2011/09/30

美しいV・VAREN長崎史~第2版~ その③

10/2 OB戦 記念で4日連続でV・VAREN長崎の歴史を振り返る。
2009年のスタジアムフリーペーパーに連載した「美しいV・VAREN長崎史」の再編版!

各県決勝大会準決勝、有明SCは一気に熊本を押し込む。41分に主将宮崎真吾がゴール!57分にはセットプレイからDF町田、更に63分に再び宮崎!

11時42分、試合終了の笛。「有明SC、九州リーグ決定!」

変化・期待・戸惑い・不安・喜び・希望・現実・・全てを背負った戦いがようやく目標へ辿り着いた。歓喜。ただ・・歓喜。

 だが、現実は「次の戦い」の厳しさを見せ付ける。順位決定に過ぎない決勝のFC琉球戦、メンバーを入れ替えた有明は守備が粉砕され0-8。歓喜の中で少しだけ悔しさを味わった。「琉球クラスを倒せなければ九州リーグ制覇は出来ない」

第28回九州各県決勝トーナメント準決勝
○有明SC 3-0 熊本教員蹴友団●
GK:三宅 DF:町田 木原 前田直 石本
MF:原田 渉 宮崎(森本) 八戸(島村) FW:林 内田(前田修)
(得点:宮崎×2 町田)

第28回九州各県決勝トーナメント決勝
●有明SC 0-8 FC琉球○
GK:帆足 DF:町田 木原 前田直 石本
MF:石本 隅田(島田) 渉 宮崎 八戸(島村) FW:林(橋本) 森本

 プレッシャーを跳ね除けて「有明SC」はついに九州リーグ昇格を達成した。昇格を前提に動いていた関係者に安堵感が広がる。県議による懇話会設立や「監督に高木琢也氏を」という小嶺の発言が機運を更に盛り上げる。一方でクラブには問題が山積していた。体制・選手・予算・・全てが手探りの中で一つ一つ解決していかなくてはならない。

 選手補強についてはまだ他の問題よりスムースと言えた。「小嶺」「長崎」という話題性は大きな武器だったのだ。逆にも最も難航したのが予算獲得。当時、辰田と共にチーム作りに奔走する菊田忠典の傍には、長崎で戦う意思を固めた原田の姿。目標予算は6000万。当時の地域リーグでは桁外れの金額。ある商店街の関係者を前に菊田は切り出した。

「今は何も無いんです。だから、夢を語るしかない。」

 その日、菊田は親和銀行へ足を運んだ。ほとんど飛び込みである。金額を訊かれ、とっさに「2000万です!」計算ではなく一瞬の読み。「3000万って言えば良かった」と後に菊田は笑うが、これが親和銀行とV・ファーレンの関係のスタートだった。

 2月27日には68名が参加してのセレクションが開催され、中村浩晃、大村健太郎、山口智博、山形秀宙、田上紘平、平井隆一郎、井石三郎の7名が合格。少しずつ・・覚えている顔が増え長崎が形作られていく。

 2005年2月高木琢也氏のテクニカルアドバイザー入りが発表された。高木氏は小嶺前社長が国見高で指揮をとった最初の学年の選手である。小嶺は強く監督にと希望したが、高木琢也氏を迎えるには厳しいのが現実でもあった。それでも、郷土への愛着から高木氏はスタッフとして名を連ねたのである。

 そして迎えた3月13日、新体制・新チーム名およびスポンサーが発表された。「チーム名はV(ヴィ)・ファーレン長崎」387件の応募から選ばれたクラブ名はポルトガル語のVITORIA(勝利)と、オランダ語のVREDE(平和)、VAREN(航海する)を合わせた造語である。

(つづく)
次回、最終回

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2011/09/29

美しいV・VAREN長崎史~第2版~ その②

10/2 OB戦 記念で4日連続でV・VAREN長崎の歴史を振り返る。
2009年のスタジアムフリーペーパーに連載した「美しいV・VAREN長崎史」の再編版!

 補強に難航するの中、小嶺にはもう一つの補強ラインがあった。国見高歴代最強の一つに挙げられる2000年度の通称「三冠チーム」。この世代が、大学卒業を目前に控えていたのである。三冠チームの主将だった田上渉は大商大で主将兼エースとして活躍し、JFL「HONDA」から誘いを受けていた。そこへ長崎から連絡が入る。渉は「夢」へと賭けた。そして、三冠世代のみならず他の国見OBも次々と集められていく。補強選手は8名。主将も宇土から宮崎真吾へ引き継がれた。決戦は1月15、16日。鹿児島中山!

 2005年1月。九州各県決勝大会に臨む有明SCには2つの好条件があった。1つは「JFLレベル」と言われていた沖縄代表「FC琉球」が別ブロックになった事。もう一つは前年に九州リーグからホンダロックがJFL昇格を果たしていた為に入替戦が免除された事である。この時に入替戦が行われたとすれば対戦相手は三菱重工長崎。県民感情を考えれば入替戦の有無は大きい。

 「有明の代表として出られない選手の分も頑張る」
宇土前主将はそう語り会場の鹿児島へ向かった。その頃、鹿児島に向かう別の男達がいた。サポーター団体ULTRA NAGASAKIの前身「クラブ・アトレティコ長崎」である。

「長崎にJリーグを」
2005年1月15日。鹿児島中山の各県決勝大会会場に手書き横断幕が張り出された。チームの名前が響く。

「ア・リ・ア・ケ!」

「有明SC」の伝説的な2日間が始まった。

 初戦の相手は「七隈トンビーズ」。プレッシャーから動きの固い有明に七隈は猛攻をかける。特に右サイドは何度も突破を許し、DF木原、そして渉が必死にカバー。だが24分、右サイドを駆け上がった石本がミドルシュート。七隈のGKが弾いた所に主将のMF宮崎が詰め先制!「いける!」固さの取れた長崎がリズムを掴む。55分、途中出場のFW内田のスルーパスにスピードスター林が抜け出し2-0。快勝。

第28回九州各県決勝トーナメント1回戦
○有明SC 2-0 七隈トンビーズ●
GK:三宅 DF:町田 木原 前田直 石本
MF:原田 渉 宮崎 八戸(島村) FW:林 松本(内田)
(得点:宮崎 林)

翌16日、九州リーグ入りを賭けた準決勝「熊本教員戦」。勝てば昇格、負ければ「1年の雌伏」を余儀なくされる決戦。運命のホイッスルが鳴る。

(つづく)

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2011/09/28

美しいV・VAREN長崎史~第2版~ その①

10/2 OB戦 記念で4日連続でV・VAREN長崎の歴史を振り返る。
2009年のスタジアムフリーペーパーに連載した「美しいV・VAREN長崎史」の再編版!

 V・VAREN長崎の発祥は南高来郡民体育大会(2005年に平成の大合併で閉幕)の為の創部された「有明体育協会サッカー部」に辿り着く。

同部は1990年の県リーグ創設にあわせ「有明クラブ」としてエントリー。翌年の県リーグ3部制導入後は県2部に所属。94年に県2部で優勝し1部に昇格。県1部では苦戦の日々が続く。しかし、97年に全国トップで戦ってきた選手の加入がチームを変えていく。現V・VAREN長崎常務「岩本文昭」である。

97年度4位、翌年2位、そして99年8勝1分で初優勝。翌2000年は連覇。01年は各県決勝大会では初戦を突破、02年は3度目の県リーグ優勝。有明クラブは県王者の座を揺ぎ無いものとする一方、県サッカー関係者の思いが徐々に集積をはじめていた。

「長崎県にJリーグを目指すチームを!」

 長崎県サッカー界は長崎の子供達が流出する状況に胸を痛めていた。それは県サッカー界の巨人「小嶺忠敏」も同様である。03年、Jの夢を目指し小嶺の教え子達は水面下で動き始める。その中心には有明クラブの岩本達も含まれていた。彼らと縁のあるクラブやOBに次々と声がかかる。

 Jを目指す母体チームを強化しなければならない。
だが、夢の為に自分達のチームを差し出す・・それは選手・関係者にとっては重い。難航と衝突を繰り返しながら残ったのは「有明クラブ」「国見FC」だった。2004年の県選手権社会人予選を最後に有明クラブを母体とし国見FCと合併。有明入り出来ない者は国見FCへ移籍。県内の有力選手を集めながらチーム作りは進む。新チーム名は「有明SC」。部長に林田広昭、監督に植木総司、岩本文昭・山本一郎らはコーチ兼任選手。

 2004年長崎県リーグ有明SCは第6節でエスタジ佐世保と引き分けた以外は順調に勝ち進んでいく。同時にクラブは九州リーグ昇格が懸かる「各県リーグ決勝大会」を視野にいれていた。一発勝負のトーナメント、元Jリーガーを揃えたFC琉球の存在、2位以下ならKYUリーグ勢との入替戦。

 2004年秋、有明SCは三菱電機長崎(現MD長崎)との首位決戦を岩本の一撃で制し優勝をほぼ確定する。各県決勝大会初戦の相手も福岡代表に決定し、植木・岩本は揃って福岡県リーグを視察に向かい、補強を念頭に各県決勝大会対策も練られていく。

 優勝を決めた県リーグ最終節の2日後、長崎新聞に「Jリーグ目指すチーム発足へ」の記事が躍る。もう後へは引けない。だが、この時点での補強ただ1人。だがこの1人こそ、原田武男である。原田の下へ電話を入れたのは小嶺だった。アビスパ退団後フリー状態だった原田は助っ人のつもりで要請を受けた。後に武男はフットボールを出来る喜びを確認しミスター長崎の道を歩んで行く事になる。

(つづく)

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2011/09/27

2011JFL後期8節 横河vs長崎のこと

試合内容は期間限定をどうぞ。

今回の日曜も朝イチの飛行機で羽田へ向かう。空港ダイヤが代わってから朝イチの便で飛んでも羽田着が10:30過ぎ。レンタカーの手配などすると余裕で11:00。13:00開始を考えると厳しい。何とかしろ、してくれ、いや、して下さい、ANA!SKY!JAL!!!

何とか横河着。
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キックオフ30分前。預かり物の祐一の幕を張る。実は、この日は体調がかなり悪く、鼻がつまり、喉が痛み、トドメに飛行機で耳までおかしくなるという強烈な状態。5感の内の2つが潰れ、声も出せない・・。これはアレだ、心眼で試合を見ろとかいう展開だ。

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まぁ、守備は予想以上にパニックだった。野本も井筒も近藤も本当に不本意で力を出せなかったと思うだろう。特にCB2人には気の毒な展開だった。攻撃に関してはまぁ4点取れた事からも判る通り・・いつもと変らない。
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後半は中井がアンカーとして非常に効いていた。中盤底でボールを持って左右に散らすという役割的には地味だが中井の高い技術が生きており後半反撃の起点だったと思う。あと翔馬の思い切りの良さが目立った。良い感じでノッている。

ただ・・幾つか感じた事があった。それはピッチの中の事やピッチの中から外へ向けての事やスタンドの事や・・。全てが一応、上手く回っているのにフと感じた違和感。4-3のスコア、得点の瞬間ベンチに走る選手達、選手を応援するスタンドの光景。全てが機能しているのに何かが違う。

まぁ、心眼で見たからと言う事にしておこう。

試合後、レンタカーで武蔵野を後にし空港へ。神戸経由で長崎着。選手達より先に競技場を出たのに選手より着は遅かった。福島家AYUMI美咲ちゃんらが迎えにきてくれていた。アレコレ濃い系の話をしながらガストで食事。そして解散。

翌朝、完全に喉も鼻も耳もイカれ耳鼻科へ行く。

語るなかれ、聞くなかれって奴ですな。

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2011/09/22

V・V長崎の練習と鳥栖での五輪代表戦

21日は鳥栖へ五輪代表アジア予選「日本vsマレーシア」を見に行く・・が、その前にやはり我が街のクラブの練習を見に行く。V・V長崎の練習と五輪の豪華二本立てだ。

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練習は良い感じでチームがよく仕上がっているんだなぁ等と幸せを感じる。練習後は自主練。ここでは各々の目指す方向やキャラ見えて面白い。
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15:00過ぎに練習見学を切り上げJRで鳥栖へ向かう。

鳥栖着。

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マレーシア国旗をマジマジと見るのは料理屋以外では初かもしれない。
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完全な観戦者として気も張らずに試合観戦モード。楽だ。楽過ぎる。

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試合はまぁ、普通に力で上回る日本が勝った。こちらの期待値が高かったというのもあるし、初戦の固さもあったのだろうが正直、厳しい所が多かった。マレーシア2番のMUSLIMが守備をコントロールしてたので、サイドに振るだけじゃなくMUSLIMと1対1に持ち込んで揺さぶっていればマレーシアのDFはかなり混乱したろうになぁ・・。

あと・・南アフリカでの活躍で多くの人が競技場へ戻ってきたと言われるが・・確かに真新しい代表ユニフォームが多かった。しかし、思う事も色々ある。それは、試合前の国歌斉唱で他国の国家が流れる中、席を立たない人がメインやバックスタンドには非常に多い事だったり、スタジアム観戦の最低限のお約束だったりを知らず迷惑かけてたり・・。そんな人に限ってゴール裏が相手にブーイングを送っていると「不謹慎」と言っているのが今の現実なんだなぁと。

俺が思い描いた成熟したフットーボールがスタンダード化した街・・世界は夢物語だったのだろうか。

試合後、選手達が「チカラを一つに」と書いたバナーを持って競技場を一周した。メインやバックスタンドを通る時は、ピッチ脇の看板の内側(ピッチ側)だったのにホームゴール裏では看板を超えて近づき、90分応援したゴール裏へ手を振り、頭を下げた。頭を下げたのはゴール裏以外ではメインの最も高価な席の所だった。近づいたのも、頭を下げたのも90分声を出し続けた者への選手やチームの気持ちの表れだ。例え形だけであったとしても。

ゴール裏はカテゴリ4と呼ばれる席種でピッチへ1番遠く、スタジアムで最も安い。メインの3Fやバックスタンドの方が値段は高い。それでも彼らは礼を示す。代表戦という日本フットボール界で最も公共性の高い場で。

だが、長崎ではバックスタンドもメインも同じ値段でありながら、選手がメインより先にバックスタンドに挨拶に行っただけで「何で、メインより先に行くんだ!癒着だ」と騒ぐような人種がいる。運営の都合上、試合終了後、メイン→バックと移動してまたメインにある控え室に戻るより、バック→メインの方が合理的なだけなのに・・。

こういう人種がいる事が長崎の現実なのだ。

試合後、マレーシアのファンに混ざって応援していたゆっくんから焼きソバを貰い帰る。

あと、スタジアムでJFAの田嶋専務理事と会ったのだが、現在発売中のサッカー批評でミカミカンタ氏が鋭いインタビュー記事を載せてるのをみたばかりなので「で、名誉会長の資格規約はぶっちゃけ後出しジャンケンで作ったんでしょ?犬養さん追い出す直前に・・」と聞いてみたかったが辞めておいた。

帰りは福島家と合流し飯とか食べて3:00長崎着。

代表戦を久々に楽しんだ。
でも、やっぱり俺にとっては山内やアリや近藤の方が代表選手よりワクワクさせてくれるな。
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2011/09/19

2011JFL後期8節 長崎vsSAGAWAのこと

試合内容は期間限定をどうぞ。こっちは観戦記みたいなもんだから。

さて、SAGAWA戦だ。
当日は諫早駅で美咲ちゃんを拾い島原へ向かう。

この日もv-istの選手カードの販売、V・ファーレン長崎支援会での来場者簡易アンケートを行うので中々に忙しい。久々にKYUの日程が重ならない竹や武男と話したり、OB元気に挨拶したり、更に色々あって山内の横断幕を預かり&掲示する事になり、更に更に選手とのハイタッチにも参加という盛り沢山な状態で会場中を走り回る。

んで、試合。

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ほぼ近い力を持つ両者がガンとぶつかり、やや圧され気味ながらも選手個々の個性というプラスアルファがあった長崎が少ない決定機をガッチリモノにしてSAGAWAの猛攻を振り切った試合だと思う。
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これまで何度も書いてきたが、SAGAWAは攻めのスタイルをしっかり確立しており、中口監督も考えて勝負してくるタイプの指揮官なのでチームとして面白い。基本、長崎とSAGAWAの対戦カードはかなりの確立で俺にとって面白いゲームだ。
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それでも、こんなシーンは心臓に悪い。

でも、今年のチームは色々ありながら良い感じには仕上がっていると思う。昨年、鳥取、SAGAWA、町田、HONDAに勝ちきれず、今年は「上位に勝ちきれるチーム」を目標にチーム作りを行った。補強した選手が総じて期待通り・・期待以上の働きもしている。練習などのチームのムードも良い。

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まだまだ佐野さんの中の理想とか完成系とは程遠いのだろうが、良いチームを作り上げたのは事実だ。去年から佐野さん自身が変った点もある。佐野達という指揮官もまだまだ成長過程なのだろう。
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俺達は今年、スタジアムの件で昇格は出来ない。
練習場は前日まで確定出来ないほど困っているし、ソフトボール場や野球場を借りて、ゴールを設置できないまま練習を送る事も多い。大村のラグビー場をやっと使用させてもらえるようになったが、どうしてもラグビー優先なので高校のラグビー部が使用するとなれば土壇場で譲らざる得ない。練習場を求めて彷徨う。

俺はULTRAを辞めて好きだった応援をしなくなり、毎試合何か忙しい日々を送っている。
チームを一歩一歩作り上げていく・・いや、再構築していく事に充足感を覚える事もある。
そんな事を考えながら帰路についた。

ところで・・

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V・VARENの選手の中でもトップ3に入るイケメンとしてお馴染みのモッチーがニューヘアスタイルだった。彼はどんなスタイルでも格好良いのだが・・俺はどうしても、

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これを思い出すのだ。
とりあえ・・長崎の覇道を邪魔する相手チームに対し、左サイドを駆け巡り焼き払って欲しい・・とでも言っておく事にする。

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2011/09/15

あえて今、有光に「俺の所へ走って来い」と言わない理由

今年の6月以来、選手に「得点して俺の所に走って来~い!!」と声をかけ続け、地味で小さいムーブメントを巻き起こしている。

俺の声かけ筆頭である「神崎」、そして「雄大」「山内」「ヤス」は無論、最近では会ったら必ず(声をかけられていないからって遠慮せずに、俺に抱きつきに来てもよろしくってよ)という感じで隼樹、堺コーチ、持留、智哉にも声をかけ続けている。そんな中でよく言われるのが「何故、有光には言わないの?」と質問だ。それに今日は答えよう。

理由はとても簡単だ。アリは来てくれる可能性がとても高いから!

俺はULTRAをやっていた頃からよく試合中に声をかけていた。アウェイで1人で応援したりしてたので選手もよく反応してくれた。そして、選手の中で反応が良いのが去年の時点で阿部ちゃんと、元気と、吉本哲ちゃんと近藤とアリだった。彼らは大抵、手を上げたり、頭を下げたり、返事をしてくれる。今年の3月に島原で震災義援試合があった時も「アリー!もう1点取ってハットトリック!!」と声かけるとアリは片腕あげて応えてくれた。

アリは何気にこういう対応がしっかりしている選手なのだ。しかもアリは今年、得点王レースで常に一歩抜け出しリードしている。点は取る!更に対応もしてくれる!つまり、アリは余りにも達成してくれる可能性が高い選手なのだ、俺にとって。

だから、俺はアリに声をかける時は時期を決めている。それはアリが長崎で前人未到の大記録を達成する来年になる予定だ。その記録は把握しているのは俺だけだ。
その記録の時にスタジアム中で称えたい。その時まで我慢をしているのだ!!

決して、俺が声をかけだした途端に、選手がシュートを打たなくなるとか、怪我をしそうとかそういう風評被害に屈している訳ではない。

でも、俺がそんな理由で声をかけない・・その奥ゆかしさに応えてたいとアリが自ら走ってくるのも素敵なエピソードだと思う。

思うったら思う。

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2011/09/12

2011 JFL後期7節 町田vs長崎のこと

試合内容は例によって期間限定をどうぞ。こっちは観戦記みたいなものだから。

朝5:30起きして、家族が寝ている中、抜け出す様は夜逃げの様であるが、長崎の為に東京へ向かうのだ。空港では雄二さんwakiさんと合流。大村大豪邸在住の門司家が見送りに!激励のウェーブが門司家withSEIKOさんで行われる。早起きな家族だ。10:00過ぎに東京着。先乗りしていた美咲ちゃんと合流しレンタカーで町田へ。いつも同じ店なので毎回同じ車・・当然今回も同じ。ホイールの傷などが目印なのだ。

町田着。

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他クラブが互いのファンを接触させないようにしている中で、アウェイのファンが必ず町田ゴール裏出入り口前を通らなきゃいけないと言う、リスキーな運営だ。案外強気だぜ。試合30分ほど前に強めの雨。その後晴れる。湿度高く、日差し強く、風がないという「サウナ」のサービス3か条みたいな有様の野津田。地味にキツイ。
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さて、試合は同じようなスタイルのチームだけに流れを掴んだ方が一気に相手を押し切るっと予想していたが、その通りの展開だった。

我慢比べの試合の中で40分の決定機を長崎は逸し、42分のチャンスを町田は決めた。それでも後半途中まではよく踏ん張っていたが、2点目で完全に息の根を止められた。見ていて信じられない程にゴール前でボールを奪われ、ここっという瞬間に綺麗に決められた。ここで俺達は打ち砕かれたと思う。あと町田のCBは安定していた。まったく揺さぶられず最後までゴール前をしっかり固めていた。
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どうでも良い話だが、カカト落しはテコンドーではネリチャギと言う。
考えてみると町田は竹村を怪我させたり、伝の顔面を蹴ったり、中山を怪我させたり・・この辺をどうにかして欲しい。ウチも荒い方だったが、余りにも多くないか?
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長崎とすれば不安要素はあったが準備を整えて戦っただけにちょっとキツイ結果だ。意図する戦い方がある程度機能しているだけに、ここからチームが伸びるのは今までより難しくなる。この中でどうやって1ランク上げていくかが今後の鍵だ。それは選手個々の成長であるとか、怪我人の復帰とか選手に関わる事と、チーム全体の事とに分かれる。手っ取り早いのは選手個々の部分。誰が伸びてくるか期待して待ちたい。
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さて、試合後は東京で一泊の雄二さんと別れる。同じく東京一泊の美咲ちゃんを品川駅まで送り、wakiさんと長崎へ向かう。空港にはSenji君が来てくれており、家まで送ってもらう。美桜ちゃんとミフゥのWトーク炸裂で車内は賑やかで癒される。

次は島原でのSAGAWA戦だ。
ホームでもあり、リーグ2連敗も許されない。アウェイで取れなかった勝点3の代わりにはならないが、ここで勝点を取らなきゃ始まらない。

プレマッチに参加する大分中の川崎元気監督の前で良い長崎を見せたい。

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2011/09/09

9/7の競技場問題について思ふこと

9月7日、長崎新聞に長崎市の競技場関連の記事が掲載された。
内容は「柿泊がJ基準改修断念。使用予定のV・VAREN昇格に暗雲」という物。昇格計画では来年J2昇格決定、J開幕の2013年3月からJ基準の県総使用可の6月迄を柿泊で開催、その後は県総と併用と言う物。暗雲とは3月~6月をどうする?という事だ。記事内容は事実だが昇格出来ないではない。関係はあるが対策が無い訳ではない。

この記事へのクラブ公式見解は原則ない。クラブ発表でも、コメントを求められた訳でもない。業務に支障が出ない限り対応しないのが普通だ。記事全てに対して対応していれば、ゴシップネタの度に会見を開かなきゃならない。ちなみにこの記事自体は長崎新聞の独自取材による素晴らしい仕事だ!!。GoodJob!!だ。

支援会で何度か説明があったが、長崎がJに昇格するのに順位など18条件があるそうだ。現時点で長崎は10をクリアし残り条件は8。競技場はその1つに過ぎない。そして、その競技場に対してクラブは対案を持っており、勝算を持っているようである。逆にクラブが最難関とし特効薬が存在しない条件が平均観客動員3000人だ。

競技場はJ基準が2013年開幕に3ヶ月遅れで手配出来る。空白期間の対案も想定していると言う。でも平均観客動員3000とJFL4位以内は劇的な対案がない。このクラブはかつてのズサンな運営で沢山の観客を失った。集客3000の方が巨大なハードルだと思う。競技場問題だけで昇格出来ないかのような反応はちょっとアレだ。

Jの昇格基準が二転三転している事に憤っている人も多い。
確かに身勝手な話だが、基準に問題ない時に昇格失敗したのは俺達だ。俺達は負けて岐阜も北九州も俺達より優位な条件の時に昇格したのだ。だって彼らは勝ったのだから。それが勝負だ。F1で予選最下位の選手が本戦最後尾からのスタートを「不平等だ」と言うF1チームにはF1を走るレベルにはない。

今回、クラブに一つ言う事があるとすれば、対案含めての説明を選手・スタッフ内で共有しておいて欲しいと言う事。一部にでも伝ってなければ不信を招く。

9/7は第13回支援会だった。支援会では直接クラブと協議がある。この日は島原・諫早・佐世保からも5人が参加した。クラブも「公式見解ではない」と断った上で大まかな説明をした。参加者は気軽になったようだった。ちなみに非公式見解なのだから「内容をネットで公開しろ」と言われても発言責任が出てくるので無理だ。俺も「8日の9時からはち蔵にいる。何でも答える」とtwitterに書いたら来たのは1人。その人は帰り道「安心しました」と言って帰っていった。

かつて寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と書いた。
今なら「ネットを捨てよ、外へ出よう」と書くかもしれない。

クラブは公式見解は無いと言う。俺にも説明義務はない。ネットの前でクリック1つで欲しい情報が必ず手に入るサービスなんて誰も運営してない。クラブは仲間であって、アレコレ世話を焼いてくれる優しい母親ではないし、俺は公僕ではない。
俺らはネット世界の住人ではない。リアルの中で生きている。

「書を捨てよ、町へ出よう」

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2011/09/05

天皇杯1回戦で勝ったチームを出迎えに行く

沖縄の友人達から
「あれぇ?チミ達は1回戦戦うんだぁ?琉球はシードだから2回戦から出場なんで、チミ達もそうだと思ったんだけどぉ、へぇ~沖縄で1回戦?で、チミも来るのぉ?」
ウザさ全快の意志が見え隠れする言葉をかけられ、「ただとくとくと首を取れ!」と言わんばかりの潔さで沖縄行きを断念した俺は日曜日、深山にこもり己を磨いていた。001

「生きるとはなんぞや?」「フットボールとは何ぞや?」

大自然よ、滝よ・・答えてくれ。

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フト、「苦しい修行だ。山を降りたい。いや!こんな事では道を極められない!よし眉毛を片方そり落とそう。そうすれば恥ずかしくて人里へは降りれまい!」と危うく空手バカ一代思想に取り付かれるが正気に返り山を降りる。

その後、車で拾ってもらい空港へ向かう。木曜に飯食った際に美咲ちゃんに「空港に出迎え行こうぜ」と話していたのだ。空港に着くと俺と同じように福岡でお買い物・・研鑽を積んできた雄二さんや聖子さんSenji君達と合流。更に美由紀さんは明日から強化合宿に入ると言う。皆、切磋琢磨しているのだ。

チーム到着。

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皆、疲労と同時に1回戦突破の安堵感が見える。ちょっとキツイ事もあり、笑ってばかりもいられないが、泣いたって仕方がない。皆で支えたいのだ。

もうここまで来たら意地で信じ続ける神崎大輔と共に俺の中でグイグイ面白い存在になりつつあるヤスを握手で迎える。いつも「得点取ったら俺の所へ走ってこーい」と叫んでいるので、智哉や堺コーチにも

「智哉も来いよ」

「堺さんも来て!」

と言う。周囲の(お前はキャバクラの呼び込みか?)という心の声に負けはしない。
俺は今年は太陽政策なのだ。
ちなみに金山には「いや、まだまだ行けないっす」と返事を貰う。

選手を見送り空港から撤収。

07年くらいまでは行けないアウェイの試合の時はよく空港にチームを迎えにいった。当時は多い時で10名以上いたと思う。去年くらいは少なかった。基本、俺は行かないアウェイが無い状態だったんだが・・空港に出迎えに来ていたのは福島家坂本家くらいだった。あとナベさん所くらいかな。

クラブがやってきた結果・・積み重ねの結果としてそうなったんだろうと思う。

目をキラキラさせて出迎えていたファンがその後、よりクラブの力になりたいとボランティアに参加し、クラブの対応に徒労感を覚え去り・・出迎える事もなくなる風景を嫌と言うほど見てきた。

最近、九州リーグだったV・VARENを知らない人たちと知り合う機会が増えた。
この人たちの目の輝きを鈍らせないようにしたいと思っている。

V・VAREN長崎、再生中。

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