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2011/09/28

美しいV・VAREN長崎史~第2版~ その①

10/2 OB戦 記念で4日連続でV・VAREN長崎の歴史を振り返る。
2009年のスタジアムフリーペーパーに連載した「美しいV・VAREN長崎史」の再編版!

 V・VAREN長崎の発祥は南高来郡民体育大会(2005年に平成の大合併で閉幕)の為の創部された「有明体育協会サッカー部」に辿り着く。

同部は1990年の県リーグ創設にあわせ「有明クラブ」としてエントリー。翌年の県リーグ3部制導入後は県2部に所属。94年に県2部で優勝し1部に昇格。県1部では苦戦の日々が続く。しかし、97年に全国トップで戦ってきた選手の加入がチームを変えていく。現V・VAREN長崎常務「岩本文昭」である。

97年度4位、翌年2位、そして99年8勝1分で初優勝。翌2000年は連覇。01年は各県決勝大会では初戦を突破、02年は3度目の県リーグ優勝。有明クラブは県王者の座を揺ぎ無いものとする一方、県サッカー関係者の思いが徐々に集積をはじめていた。

「長崎県にJリーグを目指すチームを!」

 長崎県サッカー界は長崎の子供達が流出する状況に胸を痛めていた。それは県サッカー界の巨人「小嶺忠敏」も同様である。03年、Jの夢を目指し小嶺の教え子達は水面下で動き始める。その中心には有明クラブの岩本達も含まれていた。彼らと縁のあるクラブやOBに次々と声がかかる。

 Jを目指す母体チームを強化しなければならない。
だが、夢の為に自分達のチームを差し出す・・それは選手・関係者にとっては重い。難航と衝突を繰り返しながら残ったのは「有明クラブ」「国見FC」だった。2004年の県選手権社会人予選を最後に有明クラブを母体とし国見FCと合併。有明入り出来ない者は国見FCへ移籍。県内の有力選手を集めながらチーム作りは進む。新チーム名は「有明SC」。部長に林田広昭、監督に植木総司、岩本文昭・山本一郎らはコーチ兼任選手。

 2004年長崎県リーグ有明SCは第6節でエスタジ佐世保と引き分けた以外は順調に勝ち進んでいく。同時にクラブは九州リーグ昇格が懸かる「各県リーグ決勝大会」を視野にいれていた。一発勝負のトーナメント、元Jリーガーを揃えたFC琉球の存在、2位以下ならKYUリーグ勢との入替戦。

 2004年秋、有明SCは三菱電機長崎(現MD長崎)との首位決戦を岩本の一撃で制し優勝をほぼ確定する。各県決勝大会初戦の相手も福岡代表に決定し、植木・岩本は揃って福岡県リーグを視察に向かい、補強を念頭に各県決勝大会対策も練られていく。

 優勝を決めた県リーグ最終節の2日後、長崎新聞に「Jリーグ目指すチーム発足へ」の記事が躍る。もう後へは引けない。だが、この時点での補強ただ1人。だがこの1人こそ、原田武男である。原田の下へ電話を入れたのは小嶺だった。アビスパ退団後フリー状態だった原田は助っ人のつもりで要請を受けた。後に武男はフットボールを出来る喜びを確認しミスター長崎の道を歩んで行く事になる。

(つづく)

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